皆さん、オココ~。DeNNKoです。
涼しかった8月が過ぎて、9月は残暑が厳しくなるのか?と思いきや、9月に入るともう秋のような気候になっていたので今年はデブにとって、とても過ごしやすい夏になりました。と言ってる間に10月に突入しましたが、ソイエットが捗ったわけでもなくこのブログの記事を書く頻度は極端に減ってしまっていますが、書きたいことはまだまだいっぱいあるので、無理せずにマイペースで書いていきたいと思います。
では、さっそく今回の本題である”デブ脳”について少し説明します。過去に2回に分けて
”デブ脳とは何か?”
について書いてありますが正直、自分で書いていても「いまいち言いたいことがうまく伝えられなかったなぁ~。」と思っていたので、今回は更にDeNNKo自身の経験を踏まえてもう一度”デブ脳について”の記事を書くことにしました。理論は以前の記事で書いたことと変わらないのですが、
”なぜデブ脳になったのか?”
ということも踏まえて今回は、出来るだけ分かりやすく書いていければと思います。
デブ脳についてのおさらい
以前の記事にも書いてあるのですが
少し難しくなってしまったので、今回は要点のまとめてデブ脳を説明してから、DeNNKoがデブ脳になった経緯を書いていきます。以前の記事でデブにはある共通の思想があるとDeNNKoは仮説を立てました。それが、
”太ることが悪い事だと思っている”
というものです。では、なぜ太ることが悪い事なのか?その考え方になってしまう原因は、
”劣等感”
が関係しているというのが、DeNNKoが立てた仮説です。そして、この”劣等感”は人間社会に暮らすことで生み出されるもので、その要因に
”物事を2択で考える”
ことと、
”物事を善(優れる)と悪(劣っている)で捉える”
ことが、個人の違いに優劣をつけるきっかけになり、これが”劣等感”を生む原因だというのが、DeNNKoが考えた劣等感の捉え方です。
そして、この劣等感は
”生まれた時から存在する”
もので、その原因が上で書いた
”赤ちゃん=弱い=劣っている”
という考え方による勘違いであり、未だにいじめやパワハラ、上下関係などが当たり前の社会なのが、この仮説をより確かなものにしています。
そして、それらの考えから”デブ脳”とは
”劣等感によるストレスを感じる人”
をいいます。では、このことを踏まえてDeNNKoがデブ脳になった経緯を書いていくことで、より分かりやすくなります。
DeNNKoがデブ脳になった経緯
上でデブ脳とは、デブでいる自分に劣等感を抱くことで、太っている自分にストレスを感じる人のことを言うと書きましたが、ではなぜデブはデブ脳になってしまうのか?が分かると、ソイエットの必要性も理解しやすくなります。そして、これから書く内容はすべてDeNNKo主体の話なので、皆さんにどう映るか分かりませんが少しでも参考になれば幸いです。
DeNNKoの学生時代
個人的な話なので少し話はぼかしながら書きますが、嘘は書いていません。DeNNKoは小さい頃からデブでした。このこと自体はデブ脳とはあまり関係ありませんが、DeNNKoの父親はなかなか仕事が続かずに、中学1年生までに少なくとも5回は引越しをして小・中学校合わせて4回は転校、転入しています。そして、この経験がDeNNKoにある考えを抱かせるきっかけになりました。それが、
”他人とは浅く広く付き合おう”
というものでした。またいつ転校するかわからない上に、もともと仲いいクラスに新たに加わるのは、幼心にもストレスを感じていたのは今でも覚えています。出来るだけ早くみんなに溶け込むには、八方美人でいた方が手っ取り早かったからです。
そして、この転校を繰り返すことがある事態を生み、それがある考え方にたどり着くきっかけになっていました。それが
”勉強に追いつけない”
ことでした。前の学校ではまだ教えていないことが、転入先の学校ではもう教え終わっていて、自分で勉強しなければ追いつけない事態に陥っていたのです。もともと、そこまで勉強が好きな方でもなかったので、そのまま習っていない状態で進んでいました。今思い出せるのはローマ字くらいですが、それはパソコンに触れているおかげでだいぶマシになりました。
そして、転校による勉強の遅れと学校生活を送っていく中、ある価値観を植え付けられることが、デブ脳になるきっかけになっていきます。その考え方が、
”結果がすべて”
というものです。皆さんはこの言葉を聞いて、どのように感じますか?あくまで過去の記憶を思い起こしているだけなので、直接先生や親に言われたわけではなかったと思いますが、自然とこの価値観を当然のように受け入れていました。そして、DeNNKoはこの価値観に更なる勘違いをすることで、デブ脳になっていきました。その勘違いとは、
”良い結果が得られないなら、意味がない”
というものです。当時を思い返すと、試合に勝たなければ今までの練習は意味がないや、学年一位にならなければ勉強する意味がないなどの価値観が、当然のような社会だったのは今もあまり変わっていないのかも知れませんが、DeNNKoは
”結果=良い結果”
という間違った捉え方が原因で”結果がすべて”という考え方を”良い結果がすべて”と勘違いしてしまいました。その結果「良い結果しか求められていないなら、悪い結果になってしまうならやっても意味がない。」という間違った価値観に変化することで、
”結果がすべて=過程はどうでもいい”
というような考え方になってしまいました。この考え方が、デブ脳をより悪化させていくのです。
自分を完璧主義だと思い込むことで・・・
上で書いた”劣等感”と間違った”結果論”が合わさることで、DeNNKoはデブ脳になってしまったので、体重は増え続ける一方です。そして、体重が増えることで太っていることをストレスに感じてしまい、更に太ってしまうという悪循環が生まれてしまいました。こうなってしまうと、なかなかこの価値観から抜け出すことは至難の業です。なぜDeNNKoは150㎏になるまで、太り続けてしまったのか?を順を追って説明していきます。自分がどうして太ってしまったのか?を理解することが、間違った価値観に気づくことが出来る唯一の道だと思っています。
DeNNKoは太っていることが悪い事だと思っているので、自分のことを間違った結果論で捉えているので、
”太ってしまったなら、やせる努力をしても意味がない”
という諦めに近い考え方をしていました。元々の考え方がネガティブだったことも影響しているのですが、この”ネガティブ思考”も元を正せばこの”デブ脳”と同じ理由だったのかもしれません。DeNNKoがなぜネガティブ思考になったのか?を簡単に説明すると、
”期待して裏切られたくない”
という考え方です。自分の思い通りの結果にならなかった時に、もし期待していたらその結果を受けて傷ついてしまいます。なので、初めから期待などせずに過小評価しておけば、もし結果が悪くても「こんなものか。」と期待していた時よりも、自分が傷つくリスクを減らそうとしたのがDeNNKoがネガティブ思考になった発端です。今回は結果でしか書きませんでしたが、勉強や友達、仕事や対人関係も同じような考え方で接することで、出来るだけ自分が傷つかないよにネガティブ思考を徹底していました。ここは今も改善は出来ていませんが、デブ脳が合わさると更にややこしくなっていきます。
そして、太っているのにやせることが出来ない自分を正当化するためにDeNNKoは自分のことを”完璧主義者”だと思い込むことで、何とか自分の心が傷つかないように誤魔化し続けていきます。
ストレスを発散するだけでは
DeNNKoが太り続けてしまった理由は、上で書いた
”太っている自分がストレスになる”
ことで、そのストレスを食べること以外で解消できればよかったのですが、食べることでしかストレスを発散することが出来ませんでした。更に、ストレスを発散するために食べるせいで食事量はどんどん増えていき、食べることでストレスを発散するので余計に太ってしまい太っている自分へのストレスも体重と同じように増えていきました。その上、食事でストレスを発散しようとすると
”好きなものしか食べない”
ので、食事内容にも偏りが出てしまうことで太り続けるのは必然です。では、DeNNKoはなぜこのまま太り続けていることを止めることが出来なかったのか?をデブ脳で説明していきます。
上で書いたように、DeNNKoは太っている自分を悪い事だと思っているので、そんな自分が嫌でストレスが溜まっていきます。元々、食べることが大好きなのでストレスの発散方法が、当然食べることになりました。そして、ここで問題なのが
”ストレスは発散だけでは解決出来ない”
ということです。本来、ストレスの原因がわかっているなら発散ではなく、その原因を解消しなければならないからです。これはデブだけのことではなく、人は誰しもストレスを感じています。以前の記事ではストレスの原因は”人間関係”だと書きましたが、現代社会ではストレスの原因がわかっていても、その原因を解消できないために人は色んな方法で発散しようとしています。例えば、食事もそうですがお菓子やスイーツ、お酒やたばこなどの嗜好品、趣味や運動などでもストレスを発散できる人もいますが、ストレスを発散し自分の中のストレスを減らすことで、人間は心のバランスを保っています。
ここで言いたいことは、発散することがいけないのではなく
”発散することでストレスが溜まる”
という状況が問題なのです。もし、太っていることにストレスを感じていたとしても、そのストレスを食べること以外の方法で発散することが出来れば、やがて太っているというストレスは軽減していきます。しかし、デブは漏れなく食べることが大好きです。このこと自体は何の問題もありませんし、食べるのが大好きな人がすべて太るわけではありません。
ここで問題なのが、デブ脳のせいで太っていることをストレスと感じることで、そのストレスを食事では発散できても解消はできないということです。そして、食事という発散方法で余計に太ることで更なるストレスを生み、より食事で発散しよとすることでよりストレスが溜まる悪循環にDeNNKoは陥っていました。ここまで読んでいて、皆さんはどうしてこうなったのか?理解できないかもしれません。なぜなら、皆さんは当然のように
”やせればストレス解消になるだろ?”
と思うのが当たり前なのですが、DeNNKoはデブ脳のせいでそれすらも出来なくなっていたのです。
ここで書いた”解消と発散の違い”については、後日詳しく書いていきます。
間違った完璧主義の捉え方
どうして、デブはやせることが出来ないのか?は色んな理由がありますが、今回はデブ脳が原因でダイエットに失敗する例をDeNNKoの体験談から書いていきます。
よく「ダイエットは明日から。」とか色んな言い訳を見つけては、逃げたことがあるデブは多いと思いますが、それ以上に「やせたい。」と思っているデブもいっぱいいると思います。もれなくDeNNKoもその1人に該当するのですが、どうしてこうなってしまうのか?をデブ脳と間違った結果論で説明していきます。
DeNNKoは太っていることが悪い事だと思っているので、自分は他の人よりも意志が弱く甘えているダメな人間だと、自分を過小評価し続けていました。これには、上でも書いたマイナス思考が関係していますが、こんな自分でも自尊心を待たなければ、今の自分を受け入れることが出来ません。そこで、DeNNKoがとった行動が
”自分は完璧主義者だ”
と思い込むことで、今の自分を正当化する事でした。完璧主義をGoogle先生に聞くと
完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと[1][2] 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。
が本来の意味ですが、DeNNKoは完璧主義者を間違った結果論で捉えているので、自分が出来ないことを正当化するための言い訳に使っていたのですがDeNNKoの間違った完璧主義の捉え方が、
”自分は理想が高いから、完璧主義者だ”
というものでした。上の完璧主義の説明のように、理想が高くてもそれを実現するために努力する人を本来は完璧主義者というのです。しかし、DeNNKoは努力などしてもいないのに自分がやせることが出来ないのは「自分の理想があまりにも高すぎるために実現できないだけであって、本気を出せばいつでもやせることが出来るんだ。」と言い聞かせることで、今の自分の状況を正当化することでしか自尊心を保つことが出来なかったからです。
理想が高くなった理由
そもそも、どうしてDeNNKoはこんなにも理想が高くなってしまったのか?を説明するにもデブ脳と間違った結果論が関わっています。DeNNKoは太っている自分に劣等感を感じているせいで、そんな自分から1秒でも早くこの状態から抜け出したいと常に思っています。そのせいで、太っていることがストレスで余計に太っているのが今まで説明してきたデブ脳が原因の太る理由でした。
このことが、更なる悪循環を生むのですがその理由がデブ脳と間違った結果論が合わさることで、
”自分の理想通りにやせないと意味がない”
という考え方です。自分が太っているのは、散々甘えてきた結果が今の体重だと思っているので、この体重を減らすにはとてつもない努力が必要で、辛くつまらない日々を過ごさなくてはいけないとダイエットに対して凄まじい嫌悪感だけを持っています。確かに、今までのような食事は出来ませんし、嫌いな運動もしなくてはいけないと思うだけでも、億劫になるのは当然です。なので、そんなダイエットが嫌で「明日からやろう。」という言い訳で、自分を言い聞かせ続けているのですが、ここに間違った結果論が合わさると
「こんなに努力しても、自分が思い描く通りにやせないのならば、こんなにつらい思いをする意味がない。」
という考え方になってしまうのです。今回は、自分の努力の仕方とその結果について、ここは個人差が大きく努力と結果はその人の体質や性格、適性や内容などで結果は人によって大きく違いがあります。しかし今回、問題にしたいのは
”劣等感からなる実現不可能な理想”
を思い描くことです。「どうせ大して努力もしていないくせに、やせないとかいってんじゃね~よ。」と言われそうですが、そもそも努力=結果ではありません。そして、辛い=努力でもありません。ここを勘違いしていると辛い=結果となることで、更に行動に移せなくなっていきます。そして、この考え方と劣等感が合わさることで、実現不可能な理想を求める原因になってしまいます。
今すぐにでも「こんな大嫌いな自分を変えたい。」と思うことで、自分が本来あるべき姿を想像します。人によってその理想は様々ですが、今回はDeNNKoの場合で書いていきます。DeNNKoは身長が180㎝なので、標準体重がだいたい80㎏を切るくらいですが、ここで問題なのが
”1日でも早く理想体重になりたい”
という考え方です。この理由は自分は他人より劣っていると思っているため、劣っている自分を他人よりも優れているようにするには、出来るだけ早く理想の体重なるしかないという勘違いをしてしまうのです。DeNNKoも「今すぐ150㎏の自分を80㎏にするにはどうすればいいのか?」という余りにも無謀な考えをしていました。こんな無謀な考えから出てくる計画など
”2ヶ月間、水以外何も食べない”
”1日で50㎞ジョギングする”
という実現などできないであろうものしか思いつきません。そして、ここで間違った結果論が合わさることで、この計画が実現できないならやっても意味がないという結論に至るのです。そして、そんな自分をDeNNKoは完璧主義者だと思い込むことで、自分を正当化し150㎏まで太り続けていったのです。
断崖絶壁に掛かる一本橋を渡るかの如く
そして、この間違った結果論による間違った価値観が、新たな問題を生むことで事態は悪化する一方です。DeNNKoは自分が完璧主義者だと思い込むことで、自分の自尊心を保っていましたがそのせいで、DeNNKoには何の根拠もない自尊心だけが残ることで、更に事態は悪化してしまいDeNNKoは何もすることが出来なくなってしまいました。どんな事でも、行動する際に自分の思い描く結果が得られないのなら、行動する意味がないという価値観になってしまったことで、DeNNKoは何を始めるにも断崖絶壁に掛かる一本橋を渡るような、行動にすら起こすことなく諦めることしか出来なくなってしまいました。このままの価値観では、まず始めの一歩を踏み出すだけであまりにも時間がかかる上に、もし歩き出せたとしても一歩も踏み外せない(失敗できない)という考え方なので、更に身動きはとれなくなりこの橋を渡りきることなど不可能です。
どうしてこうなってしまったのか?それは人よりも自分は劣っていると思うことで、自分に負い目を感じそんな劣っている自分から抜け出したいと思うあまり、最短を求めようとしているからです。
30年かけて増えてきた体重を、数か月で何とかしようとすることは余りに無謀であり、本来の問題に気付くことが出来ていないために、事態は一向に進展せずにどうすればよいのかわからないまま、ただただストレスだけを発散し続けた結果が、今のDeNNKoが誕生した原因です。
DeNNKoは本当は極端主義者だった
DeNNKoは間違った結果論によって、自分を完璧主義者だと思い込むとこで、自分の自尊心を保とうとしましたが、本当はDeNNKoには完璧主義とは違った価値観があったせいで、今まで太り続けていたのです。その価値観が
”極端主義”
というものです。今まで完璧主義者だと思っていましたが、よく考えたら本当の完璧主義者にしたら「一緒にするんじゃねーよ。」と言われても可笑しくないくらい、完璧主義とはかけ離れています。どんな理想を掲げようが、その理想を実現させようとするのが完璧主義者なのに、DeNNKoはただ理想が高いだけでなんもやってないのですから・・・。そして、DeNNKoが本来持ち合わせていた価値観がこの”極端主義”だったのです。
簡単ですが極端主義について説明すると、全てのものごとをYESかNOやはいかいいえ、100か0やありかなしや生か死でしか判断できない価値観のことを”極端主義”と言い、その価値観の人を”極端主義者”と言います。この言葉自体をあまり聞いたことがないと思いますが、この言葉もDeNNKoが作った造語です。すべての物事を極端な捉え方しかできなくなっている価値観を言い、この原因として考えられるのが今まで書いてきた”間違った結果論”がもたらす間違った価値観が悪化したものです。
デブ脳と極端主義の関係
今まで書いてきたデブ脳ですが、本来はこの極端主義が発端で起る間違った肥満の捉え方をデブ脳と言っていました。もちろん、極端主義の一番の要因は劣等感であり価値観が悪化したのが、この極端主義になります。簡単にですがDeNNKoが極端主義になった過程を書いていきます。
DeNNKoが劣等感を抱いたきっかけは上にも書きましたが、更に間違った結果論と合わさることでDeNNKoは極端主義になっていきました。間違った結果論は上でも書きましたが、結果がすべてという価値観を劣等感によって捻じ曲げることで、
”結果が良くなければやる意味はない=過程は関係ない”
という価値観になってしまうことで、物事を”やるorやらない”や”良いor悪い”などの極端な考え方になってしまうことを”極端主義”と言い、その考え方をする人を”極端主義者”と言います。これから、皆さんにもイメージしやすいように”極端主義者”が起こした実際の出来事を例に挙げて、極端主義を説明していきます。
かけっこに順位をつけないようにしよう
だいぶ前にニュースで聞いた内容で、未だに記憶に残っていたのでこのことについて書いていこうと思ったのですが、どうやら少し調べてみると実際に体験した記事などはほとんどなく、都市伝説では?という捉え方も多いようですが、今回は実際にあったorなかったということではなく、どうしてこのような考え方をしていまうのか?を説明することで、極端主義を説明していきます。
そもそも、なぜかけっこに順位をつけないようにしようという考えに至るのか?DeNNKoが考える仮説を書いていきます。かけっことは、数人で一斉に走り出し、決められた距離をどれだけ早く走りきることが出来るのか?をタイムで競うものが一般的です。そして、そのタイムの速さに順位をつけることが今回の問題になっているところです。この件を扱っている記事に書かれている、かけっこに順位をつけないようにしようと考える理由で多く書かれていたのが、
”いじめの原因になるため”
というものですが、ではそもそもなぜ順位をつけるといじめられるのか?ここが今回の極端主義に関わってくる問題点です。まず、かけっこをすること自体に何の問題もありませんし、今回問題になっている順位をつけるという行為自体にも、何ら問題はないはずです。では、なぜ”順位をつける=いじめ”になるのか?ここに劣等感が関わってきます。4人でかけっこをすることで、足が速い子と足が遅い子にタイムの”差”が生まれます。そして、その”差”を基準に足が速い子に”1位”を、足が遅い子には”4位”という順位が振り分けられますが、ここで問題なのが社会の認識として
”1位=優れている、4位=劣っている”
という価値観に問題がある為、この結果に異議を唱える大人が現れているのです。そもそも、足が速いだけでその子の全てが決まるわけではありませんし、足が遅い子が全て劣っていることなどありません。しかし、この結果で大人たちは子供に対する対応を変えてしまいます。子供自身が、かけっこの結果を得て自分のタイムや順位を、悔しがったりもっと速くなりたいと自主的に考えることは本来必要なことです。しかし、ここで大人たちが1位の子を褒め、4位の子を慰めることで子供たちも自分たちに優劣が付いたことを感じることで、かけっこが遅かった子=劣っているという価値観に触れ、その価値観から足が遅い子がいじめられるのでは?という考えに至ることで、大人たちはかけっこに順位をつけるのはやめようという対応になってしまうのです。
自分たちの態度が、子供たちにも間違った価値観を植え付けていることを理解している大人は限られてくると思いますが、問題は更に深刻化していきます。かえっこの順位で優劣がつくこと自体は劣等感で説明してきましたが、今回書きたいのは”極端主義”です。このかけっこの順位に対する劣等感によってもたらせれたある考え方が、今回問題にしたい
”優劣がつくなら順位をつけなければいい”
という間違った考え方です。本来の問題は、順位をつけることではなく優劣をつけることなのに、そこを理解していない大人たちが「4位になる子は劣っているから、いじめの対象になるかもしれないから、かわいそう。」という発想自体に問題があるからです。そして、その事態を解決する方法は極端主義による
”できないことはやらない”
という価値観を取り除くことが重要です。正直、この価値観を取り除く方法は今のDeNNKoには未だに思いつきませんが、これに優劣をつける価値観も合わさっているので、この問題はとても複雑です。そして、本当の問題点はこの先にあるのです。
本当の問題点
上の記事で、かけっこの順位をつけないようにしようという考えに至る理由を、劣等感と極端主義で説明してきましたが、この先に更なる問題点が存在します。それが、
”手をつないで一斉にゴールする”
という考え方です。これは順位をつけずにゴールすることで優劣を無くし、いじめの原因そのものを無くしてしまうというものです。正直いうと、この手つなぎゴールも実際にやっているという記事自体がないようなので、都市伝説かも知れませんがこの考え方が、今の日本社会を表している一例になっています。
さすがに、かけっこ自体を無くそうという考え方には至っていませんが、この手つなぎゴールが意味するものとは
”みんなを平等にする”
という間違った考え方が原因です。ここでDeNNKoが言いたいことを勘違いされてしまうと、この先の記事が分かりにくくなってしまうので、まず先に結論を書きます。それは、
”平等を同等と同じだと思っている”
ことが問題だからです。みんなが平等であることは正しい考え方なのですが、この平等を同等と混同していることが、今の日本社会にも蔓延しているためにこのような事態が起っているのです。この平等と同等の違いについては、今回の記事では書ききれないほどに重要な内容なので書きませんが、この勘違いが手つなぎゴールという考えを生むことで、人間そのものの個性を否定する要因になってしまうのです。
本来、平等とは各々の個性にあった評価をすることであって、同等なように個性を無視して皆を同じものとして評価することではありません。どうしてこのような考え方になってしまうのか?には、今まで散々出てきた劣等感が関わってきますが、これも次回の記事で書いていきたいと思います。
まとめ
DeNNKoがデブ脳になった経緯を書く上で、極端主義を説明するためにだいぶ横道に逸れてしまいましたが、DeNNKoは自分が太っていることを嫌うことで、今の自分は本当の自分ではなく本当の自分はやらばできるんだと正当化するために、間違った完璧主義者だと思い込むことで、自分の自尊心を保っていました。
その結果が、やらばできると思い込むことでしか保つことが出来なかった自尊心を守るために、やって駄目だったらどうしようという思いから、何も行動に移すことが出来なくなり身動きがとれなくなっていたのが、155㎏まで太り続けていたDeNNKoの正体でした。
しかし、今まで踏み出せなかった第一歩を踏み出すことで、自分の置かれている状況を客観的に捉えることで、どうしてDeNNKoは太れ続けてしまったのか?を考えることが出来るようになりました。そのおかげで、無理なダイエットや食事制限ではなく、自分が太る原因から自分なりの方法を考えることで、この”ソイエット”というものにたどり着くことが出来ました。
どうしてこの”第一歩”が踏み出せたのか?はまた機会があれば、書いていこうと思いますが、今の課題はこの”ソイエット”をしっかり自分の実体験を元に確立し、この方法が他な人にも効果的なのか?を実践していくことです。未だにDeNNKo自身が目標を達成できていないのでまだまだ先の話ですが、ソイエット同様に続けることが重要なので、マイペースでいきたいと思います。
次回から、以前の記事で少し触れた
ソイエット流の食事改善法を詳しく書いていきます。これが、今のDeNNKoが唯一実践している方法になり、これがソイエットの根幹とも言えますがまだまだ不完全なので、実践しながら色々試していきたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。